1990年代、僕は東京にいて、急激に成長する音楽産業に身をおいていました。膨張を続ける音楽産業の最前線にいて、あたりまえにスタジアム・コンサートをプランし、100万枚のアルバムセールスを実現するためにリリースを調整し、経済性最優先の年間計画に沿って大量露出、大量消費を繰返しながら、億単位のお金が頭上を通り過ぎて行くさまをぼんやりと眺めていたのです。
「何か変だ」
コンサートやキャンペーンを展開するために訪れた地方都市で目にする、東京と同じかたちの駅前、同じ街並、東京と同じ商品が溢れ、同じ消費行動を取る人々。東京で宣伝した音楽が全国どこへ行っても同じようにオンエアされ、同じキャッチコピーで語られたものがミリオンヒットを記録する。その有様に奇妙な違和感を感じ始めたのです。
「その地方特有の空気や感覚、産物、人々の気持ちや行動はどこにあるのだろう」
やがて90年代後期になるとミリオンヒットどころかメガヒットが続出。その違和感はどんどん大きくなって行きました。全国どこへ行っても均一に流通する音楽と、均一な反応を示す人々。それを目指して殺到する経済活動。
バブル経済の崩壊から低迷が始まること10年、日本の社会が大きな落とし穴に気づき始めた2000年ころ、その違和感は「このままじゃダメだ」という確信に変わったのでした。
|

|
|
そんな時、出身地である長野県の飯田で「タテタカコ」の音楽に出会いました。そこにある音楽は、経済性が第一目標とされる類いのものとは違う、人間の感性が基になって生まれて来る音楽でした。
そして、彼女の音楽を生み出した人々のつながりや自然の豊かさを知るうちに、ある想いが生まれました。
東京を中心にした市場原理一辺倒の経済はいつか破綻する。その時、自分たちに残されるものは何だろう。地域の風土、歴史や文化を踏まえて地域を中心に成立する、その地域の人々に合った経済を、自分たちできちんと持っていなければいけないのではないだろうか。
|

|
2003年、長野県飯田市を本拠地とした
県内で初となるプロフェッショナルなレコードレーベル、ネーブルファクトリーワークスを設立。
この地域でのクリエイティヴ産業の創成を目指し、音楽を商品として販売して行くだけではなく、地域の特徴的な文化や産業を音楽と一緒に伝えて行く方法を模索しながら、タテタカコ、ビーグルズといった長野県のアーティストを擁し、
長野から全国へと活動を展開しはじめました。
|
|
その活動の中から「長野」「長野県」を眺めたときに、消費経済に飲み込まれてしまった日本の社会に新しい価値観を提案できる可能性を感じたのです。
……雄大な自然、地球のエネルギーが露頭した山岳の連なり、自然とともに生き、それに感謝しながら営まれる農業や林業という産業、自然に育まれた人間的なエネルギーや感性、たくさんの地域に残る文化や伝承芸能、それを守り続けている人々の意志、……。
|

|
| 「人間の力」が強く残っているこの地域の文化を訪ね歩くうちに次第に浮かび上がってきたのが、この社会を再び人間本位の社会に戻すためのヒントが、ここにはあるのではないか、という思いでした。 |

|
その思いから2006年、長野地域SNS サイト・N[エヌ]をプロデュース。
ウェブマガジンやイベント、出版物による地域文化の発信や振興、伝承芸能のアウトリーチ、県内を巡るカフェミーティング、県の制作物デザイン審査など、音楽を中心に長野県のイメージを作りながら
地域社会を面白くするさまざまな事業に携わってきました。 |

|

|
そんな活動を通して、長野県のいろいろな分野の人々に出会い、いくつもの興味深い有意義なアイディアを聞くことになりました。特に、長野県という地域の特性、歴史や風土を活かしたビジネスや施策を成功させている人々のアイディアは、市場原理に荒らされきった社会に新しい価値観を生む可能性を強く感じるものだったのです。
大切なのは、人間。
そこに住む、人。
その人間を活かすために人間から生まれたアイディアを、そしてそれを基に成功への道を拓いていったアイディアを伝えたい。
整理され編集された「文面」ではなく、それぞれのリアルな「声」で、それを語っている場所の空気も一緒に伝えたい。
それを受けとめた人々がその声と言葉からヒントを掴み、それぞれの場に生かしていくことができたら、人の温もりのある、人に優しい、そういう社会がまた蘇ってくるに違いない。
2009年春、針路を示すものである【羅針盤】というタイトルにその想いを込め
この試みはスタートしました。 |