音楽はもともと文化財でした。
 古来、ギリシアでもローマでもアフリカでも、砂漠の国でも中央アジアの草原でも北欧の白夜でも、そしてこの国でも、音楽は神事、祭礼から生まれた崇高なものだったのです。
 以来、近代に至るまで永々といとなまれてきた人々の生活の中で、音楽は精神的な拠りどころとして進化し、さまざまな姿に発展し、瑞々しく生き続けてきたのでした。

 音楽が消費財になってしまったのは1980年代からでしょうか。
 「消費は美徳」というスローガンによってバイアスのかけられた社会では、見込大量生産によって無理矢理産み出された物資が、地球を磨り減らすようにして肥大した流通網によって隅々までバラまかれ、すべての価値が消費と換金によって計られる膨満した物質文明に支配されていったのです。

 大量露出、大量消費。ミリオンヒットが続出した1990年代、楽曲は新しさと出荷数量だけに価値を求められ、首を挿げ替えるだけで事足りるような粗悪な音楽商品が夥しく濫造され、多くはあっというまに棄却されるという末路を辿りました。もともと音楽は廃棄される消費物ではなく、もっと新しい何かを生むエネルギーを持った質の高い創造物だったはずなのです。

 人々の気持や尊厳、敬愛の念や誇りよりも消費経済が優先される社会、他者と比べて一列に並ぶことにしか能力を求められない社会では、ぼくたちは豊かに暮らすことができません。そのような社会では、歴史や思想、文化、蓄積される人類の叡智は不要で、利己経済という地球規模で吹き荒れる嵐にあおられながら常に形を変えて吹き溜まるだけの、砂塵のような世の中になってしまいます。

 音楽に救われた経験を持つぼくたちは精神的な拠り所としての音楽を取り戻したいと思いました。あの手この手でお金に換えてしまえばそれで終わりなのではなく、それを受取る人達ひとりひとりが、あまねく、少し幸せになったり少し楽な気分になるように。僕たちの音楽はそういう方向を目指して昇華する個性的で人間的な創造物でありたい。
 人々が幸福な方向に歩いて行くための人間主義、自然主義的な社会のありかたを希求しながら、ぼくたちは持続的にアイディアの循環する創造物として音楽を蓄積させて行きたいと思っています。